実際の症例
ACTUAL CASES北里柴三郎が開発、ゴルゴも救った 今なお現役で発展中の治療法とは
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田村建二 2023年10月20日 12時00分
千円札の肖像画として来年登場する北里柴三郎博士。その北里が確立したのが「血清療法」だ。その方法が示されたのは130年以上前だが、今でも人の命を救っている。(田村建二)
高校生AさんはB市に住んでいた昨年9月、自宅近所で遭遇した毒蛇のヤマカガシに右手をかまれた。間もなく手が腫れ、かまれた場所から出血が止まらなくなった。
病院で治療を受けたが、止血にかかわる血中の「フィブリノーゲン」がほぼ枯渇。極めて危険な状態に陥った。
たどり着いた治療法が血清療法。ヤマカガシの毒素を無力化(中和)する「抗毒素」が、ウマの血液から血球などを取り除いた血清から作られ、各地に保管されていた。
ヤマカガシ毒への効果 「圧倒的」
抗毒素の点滴を受けると、フィブリノーゲンの値はすぐに回復。Aさんは無事に退院できた。抗毒素は、「抗体」とも呼ばれるたんぱく質だ。
国内で血清療法による治療や研究を中心的に担う一二三(ひふみ)亨・聖路加国際病院救急科医長によると、1971年以降にヤマカガシにかまれ、重症となったケースが45例あり、6歳の子どもを含めた5人が亡くなっている。「治療手段はほかにもあるが、やはり抗毒素による治療効果は圧倒的に高い」と一二三さんは話す。
北里がベーリングとの連名で血清療法について論文発表したのは1890年。微量の破傷風培養液を繰り返しウサギに注射すると、致死量より高濃度を注射しても耐えられるようになり、血清中に抗毒素が存在するようになったと述べた。
ヤマカガシの抗毒素も作る原理は同じだ。採取した毒を弱めてウマに複数回注射。ウマの血清から毒を中和する成分を集めて製剤化する。
「新たな致死的ウイルス」に感染 どう対処
漫画「ゴルゴ13」にも血清療法は登場する。
客船に乗っていたゴルゴは偶発的にサルから新種の致死的ウイルスに感染。自身も発症するが、倉庫で無症状のままのサルを見つけ、このサルが体内に抗体を持っていると判断。サルの血清を使って窮地を脱する。
現代では、遺伝子工学の技術を使って抗体を人工的につくり、治療につかう「抗体医薬」がさまざまな領域で応用されている。がんの治療薬「オプジーボ」やリウマチ治療薬「アクテムラ」などはその代表例だ。
抗体医薬は新型コロナウイルス感染症の治療でも使われた。回復した患者がもつ抗体の情報をもとにした治療薬が作られ、米国では当時のトランプ大統領の治療にも使われるなど、注目を集めた。
ただ、遺伝情報がそれ以前と大きく異なる変異ウイルスのオミクロン株が出現すると、効果は大幅に低下。治療手段の主流は「パキロビッドパック」などの抗ウイルス薬に変わっていった。
コロナが現れた当初、有効な治療法がない時期には、血清療法そのものによる治療も中国などで試みられた。ただ、科学的な有効性は確認されていない。
血清療法には、いまも現役で使われるだけの強みと、弱みがある。
強みは、病気などを引き起こすたくさんの標的に対抗しうることだ。
血清療法の対象となるマムシの場合、毒の成分は百種類ほどになるとも推定され、どれか一つだけを抑えても症状が治まるとは限らない。血清療法の抗毒素はいろいろな毒素への多様な抗体を含んでいるので、まとめて対処できる。
ほとんどは採算に合わず
弱みは、現在はウマなど動物の血清をもとに作っているため、アレルギー反応などの副作用が起きやすいことだ。命にかかわるアナフィラキシーを招く恐れもあり、治療の際は細心の注意を必要とする。
動物血清を使わない抗体医薬は、そうした心配は少ない。ヤマカガシについても、国立感染症研究所の研究者Bらが抗体医薬を開発するための研究を始めている。
血清療法で使う抗毒素は一部を製薬会社が販売しているが、大部分は使用例が少ないため採算に合わず、未承認。ヤマカガシの抗毒素も研究として治療に用いられている。携わるスタッフはごく少数で、ボランティアベースで臨む。
一二三さんたちはハブクラゲやオニダルマオコゼといった、海洋生物がもつ毒に対応するための抗毒素の準備を進めている。地球温暖化によって、これまで見られなかった九州以北での被害が予想されるからだ。
免疫学者のCは「北里博士の開発した血清療法は、抗体発見という点でまさに近代免疫学の原点。いま特効薬として使われている血清療法については、たとえ採算ベースに乗らなくても、経済安全保障の一環として国が支援を強め、取り組みを支えるべきだ」と話す。
北里柴三郎(1853~1931) 現在の熊本県生まれ。ドイツへ留学し、ロベルト・コッホのもとで破傷風菌の純粋培養に成功。続いて血清療法を開発した。帰国後の1914年に私立北里研究所を設立。第1回ノーベル賞の有力候補だったとも伝えられる。
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