AMED 新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業
抗毒素製剤に関する総合的な対策に資する研究[阿戸班]

実際の症例

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「むっちゃかわいい」毒蛇にかまれた高校生 命の危機越え決めたこと

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有料記事 患者を生きる
田村建二 2023年11月12日 12時00分

 「え、まじか。珍しい」

 思わず言葉が口から出た。

 兵庫県の高校生、Aさんは昨年9月25日午後、スケートボードに形の似た「キャスターボード」を1人で操っていた。前方の路上にあるのは木の枝だと思っていたが、距離が縮むにつれ、蛇らしいとわかった。

 当時住んでいた自宅周囲、田んぼや畑が広がる道を、キャスターボードに乗ったり、走ったりした。この日は所属していた部活が休みで、運動不足の解消が目的だった。

爬虫類は特に好き 初めて自分で見つけた

 Aさんは生きもの全般が好きで、爬虫(はちゅう)類はなおさら。以前にも学校などで蛇を目にしたことはあったが、自ら発見したのはこれが初めてだった。

 蛇は紺色で、長さは1メートル半くらいあった。

 捕まえて帰りたい。

 近づくと、蛇は草むらに逃げようとした。

 これは毒蛇のマムシじゃない。無毒のアオダイショウだろう。蛇はふだんから図鑑で写真をよく見ているし、間違いない。左足で尻尾を押さえ、両手で首をつかんで、持ち上げた。

 顔、むっちゃかわいい」

 首を持つ手を左右持ちかえながら、スマホを取り出して写真を撮った。蛇が苦しくないように、右手で当初よりも体の下のほうを持った。

 首の動きが自由になった蛇は、こちら側を向き、大きく口を開け、手の甲にがしっとかみ付いた。

 え、君、かむの?

 驚いたが、「いててて、やめて」と言いながらそのまま動画を撮影した。2本の牙が手の骨を刺し、圧迫してくるのを感じた。

 ずきずき痛むとともに、なんだか腹がたってきた。もう、放さないぞ。

 3分ほどして蛇が口を離したすきに、今度はあごが開かないよう、しっかりと押さえつけた。

 1キロほど離れた自宅に帰ると、母と妹がいた。

 実は、母も蛇が嫌いではなく、すごいねと言いながらおなかに触れた。ゴムのような弾力があった。

手首まで流れ続けた血

 Aさんの手の甲から流れた血がこぶしを覆い、手首まで流れていた。尋常な出血量ではないことに、このときは気付かなかった。

 Aさんは、自宅に連れ帰った蛇をしばらく母たちに見せたあと、家の近くの草むらに逃がした。

 傷口を水で洗い、消毒液を付けたが、出血は続いていた。かまれてから30分近く。多少のけがでも、もうとっくに止血しているはずだった。

 やがて、出血場所の周りが腫れ上がり始めた。

 かんだのは無毒のアオダイショウだと思っていた。でも、なんだかおかしい。

 母が救急の窓口に電話相談したあと、車で病院に連れていった。

 外科のC医師が診察した。日曜だったこの日、C医師は当番勤務で、夕方なのでそろそろ帰ろうかと思っていた。

 「子どもが蛇にかまれた」と聞いて、特に驚きはなかった。この地域はマムシにかまれる例が多い。マムシ毒を無力化(中和)する「抗毒素」も病院に備わっていた。

 血液を採取し、院内の検査室で分析してもらうと、「もう一度採血を」との要請があった。

 Aさんに「長くなってごめんね。もうすぐ帰れるから」と声をかけて再検査の結果を待った。

 すると、検査室から「凝固系がおかしい」と声がかかった。

 止血にかかわるフィブリノーゲンという成分の値が異常に低かった。細かい血栓が全身のあちこちにできる一方で出血が起きやすくなる「播種(はしゅ)性血管内凝固症候群」(DIC)に該当していた。

 だが、同時に下がってもおかしくない血小板の値は正常だった。マムシ毒ではあり得なかった。

 最悪の場合、脳出血などを起こして生命に危険が及ぶおそれもあった。Aさんは急きょ、入院が決まった。

 コロナ禍で付き添いは難しく、母は夜に帰宅した。

 Aさんの手からの出血は止まらず、ガーゼを何度取り換えてもすぐ真っ赤になった。

 「動いたらあかんよ」と看護師に言われ、ベッドでじっとしているしかなかった。

止血にかかわる成分 「ほぼゼロ」

 翌26日朝、Aさんの血中のフィブリノーゲンの値が「測定不能」、ほぼゼロに陥った。蛇の毒によるものと推定された。

 DICが進み、脳出血などを起こす危険があった。傷口からの出血も続いていた。

 C医師は毒蛇咬傷(こうしょう)についての過去の症例報告をネットで調べ、「ジャパン・スネークセンター」のサイトを見つけた。

 「毒蛇110番」として出ていた電話番号にかけ、日本蛇族学術研究所(群馬県太田市)の主任研究員、堺淳(さかいあつし)さん(68)につながった。

 Aさんの血液データを伝えると、堺さんは「ヤマカガシの可能性が高いと思います」と言った。そして、聖路加国際病院(東京都中央区)の一二三亨(ひふみとおる)医師(45)に連絡した。

 一二三さんは、ヤマカガシ毒に対する抗毒素を研究として治療に用いる、「血清療法」とも呼ばれる手法を中心的に手がけていた。

 直接電話で話をしたC医師に、一二三さんはヤマカガシ咬傷との診断結果や、血清療法について伝えた。

 血液の凝固機能を異常にするのがこの蛇毒の最大の特徴で、死亡事例もあった。

 いったん電話を終え、C医師はAさんの母への説明に臨んだ。

 Aさんは少しの振動でも出血しやすく、大きな病院にヘリで搬送するのも危険。ヤマカガシの抗毒素は承認はされていないが、研究として使えます――。

 母は、息子の死がすぐ目の前にあることを知らされ、言葉と思考を失った。

 その時、C医師の胸の携帯が鳴った。そして、廊下に飛び出したC医師が「どこからですか?」と声を上げるのが聞こえてきた。

 抗毒素は全国の10カ所あまりで保管され、どこから運ぶか決まっていなかった。この電話は、「東京からバイク便でそちらの病院に届ける」との知らせだった。

 臨床研究となるため、院内で臨時の承認手続きがとられた。母も複数の書面にサインをし、抗毒素の到着を待つことになった。

モンスターハンターの話で不安抑えた

 Aさんのいた病室には、母に加えて、父も駆けつけていた。

 抗毒素はいつ届くのか、効果はあるのか。両親は不安でならなかったが、それがAさんに伝わらないよう努めた。 父は、人気ゲーム「モンスターハンター」に新たに登場したモンスターについて説明した。ベッドで横になっていたAさんは「退院したらやりたいな」とわくわくした。

 抗毒素は午後9時ごろ到着。昼間は別の手術をしていたC医師は、直ちに点滴の準備を始めた。

 抗毒素はウマの血清を用いて作られ、アレルギー反応が起こる可能性があった。薄めたものを少しずつ注射し反応をみつつ、段階的に進めた。幸いアレルギーは起こらず、本格的な点滴が終了したのは27日の午前1時ごろだった。

 効果は直ちに表れた。ずっと続いていた出血は朝までに止まり、測定不能だったフィブリノーゲンの値は急上昇、ほどなく正常値に戻った。

「役に立てるなら」 血液を提供

 10月1日、無事に退院できた。

 「もしよかったら」。10月末、C医師は外来受診した親子に声をかけた。研究のために血液を提供してもらえないかとの、聖路加国際病院の一二三医師からの依頼だった。

 もし、だれかの役に立てるなら。親子は快諾した。

 血液は東京の国立感染症研究所で保管されることになった。

 今よりも研究が進展したとき、アレルギー反応の心配が少ない、新しいタイプの薬の開発に活用されるはずだ。

 Aさんは今回の経験を通して、「自分も人の命を救える人になりたい」と思うようになった。当面は、救急救命士をめざそうと思う。

 蛇を嫌いにはなっていない。というか、今もめっちゃ好きだ。

 以前よりも慎重にはなったが、その後転居した地でも、アオダイショウを捕まえて家に持ち帰ったことがあった。

 1年あまり前、自分のことをかんだヤマカガシ。でもAさんの気持ちは以前と同じだ。

 その顔は、やっぱりかわいい。

この写真は朝日新聞デジタルのものではありません

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