2021.10.01
本邦における毒蛇咬傷治療の変遷 (堺淳先生より)
日本における毒蛇咬傷は、ハブ類4種(ハブ、ヒメハブ、サキシマハブ、トカラハブ)と二ホンマムシによるものであるが、被害が大きく、問題となるのは最も大型のハブとニホンマムシによるもので、毒蛇咬傷といえばこの2種類に対しての治療が中心であった。現在では輸入されて逃げ出して住み着いてしまったタイワンハブと昔は無毒ヘビと思われていたヤマカガシ(ニホンヤマカガシ)による咬傷も問題となっている。さらに、1984年にニホンマムシとは別種とされた長崎県対馬島のツシママムシ咬傷も加わることとなった。毒蛇咬傷治療と切り離せないのが抗毒素血清であり、治療の変遷は抗毒素使用の移り変わりでもあるが、もう1つ切り離せないものがセファランチンである。図1 図2
ハブ咬傷
沖縄、奄美地方ではハブによる咬傷は、昔から生活に深くかかわる非常に大きな問題であり、1980年でさえ毎年400人ほどが咬まれ数名が亡くなっている。駆除や様々な生活環境の改善により2020年には咬傷数は60名ほどまで減少し、抗毒素の使用により死亡に至ることはなくなった。
毒蛇に対する抗毒素は、1894年にパスツール研究所のカルメットがインドコブラ毒のウサギやモルモットへの繰り返しの投与により抗毒素ができることを確認したことに始まる。1895年にウマを免疫してつくられた抗毒素血清が治療に用いられ、有効性が確かめられた。日本ではその方法を用いて、北里柴三郎を所長とする伝染病研究所(のちの医科学研究所)で奄美大島産のハブ毒で免疫し抗毒素の試作が行われ、1904年にハブ抗毒素が完成した。初期はハブとマムシの混合血清が製造されていた。また、ハブ毒はていた。現在は奄美大島と沖縄島産のハブ毒が使用されている。1905年に沖縄、奄美で118名が血清療法を受けたが、それでも5名が死亡しているが、血清療法なしに比べると1/3であり、かなり効果を示したとしている。1935年頃より重症例では点滴静注も行われるようになったが、1960年代でも受傷部周辺に投与されることが多かった。
ただ、抗毒素があれば治療ができるわけではない。その時代は、交通の便が悪く、医療機関までかなり時間がかかること、抗毒素は液状であり、電気の届いていない地方では保管できないことなどの問題もあった。その後、1956年以降東京大学医科学研究所の沢井芳男らによって抗血清の精製や部分消化、凍結乾燥の研究が進められ、凍結乾燥抗毒素が開発され(1959年)、効力も保存性も向上した。そのため僻地でも抗毒素による治療が可能となり、致死率が1%まで低下した。さらに、1961年からハブの単価血清、1963年からマムシ単価血清が製造され始めた。
初期の抗毒素には抗体と関係のない不活性のタンパク質が含まれていたため、これらを分離精製して抗体部分のガンマグロブリン分画のみの抗毒素が製造されるようになった。不純物が取り除かれることで副反応は減少する。さらに、ペプシン消化によって分子量15万ほどのIgGは、抗原結合部分の分子量約11万のF(ab’)2とFc領域に分離され、抗毒素中80%がF(ab’)2、10%がIgG、10%がFcの断片となり、分子量が小さくなったことで体内からの排出nスピードが速くなっている。筋肉注射ではIgGは吸収も緩やかで、半減期が25日と長いが、F(ab’)2は組織浸透性が高く、半減期は9日と短くなっている。ウマの抗体は人にとってはもちろん異物であり、長く体内にあるほどウマの抗体に対する抗体が産生され、再度の投与により副反応は起こりやすくなる。ちなみにアメリカでは現在、パパイン消化によって分子量5万のFabとなった抗毒素CroFab(Crotalidae polyvalent immune fab)が製造されている。(図1)半減期はさらに短く15~23時間程度になっている。
抗毒素とは別に、咬傷による重症化を軽減するために、鹿児島では1970年以降一部地域の住民を対象にハブトキソイドの接種を行ってきた。しかし、その効果はあまり明確にはなっていない。現在では、医療機関の充実と緊急搬送体制の整備によって短時間で治療が受けられるようになったため、2002年以降トキソイドの接種は行われなくなった。
その他、EDTA液(キレート剤)による局所の洗浄や強心剤、アドレナリン、ブドウ糖リンゲル液が投与されていた。受傷部位の浸出液からヘビ毒が検出できることから、短時間で来院した場合には牙痕部に小切開を加え、吸引器で持続的に吸引することもあった。蛇毒中のタンパクが金属タンパクで、キレート剤によって活性が抑えられる作用もあることから、咬傷部位を切開し、EDTAで洗浄している。医師によっては、同時にテトラサイクリンによる洗浄が行われることもあった。タンパクの沈殿剤として用いられるタンニン酸の収斂作用がハブ毒も中和するということから、応急処置での洗浄に用いられた。局方のタンニン酸よりも渋柿から抽出したタンニン酸の方が中和力が高いという研究から、このタンニン酸溶液の応急処置キットが熱帯医学協会から販売されていた。マムシ咬傷治療では現在でもよく使用されているセファランチンが、ハブ咬傷でも当初は使用され、効果に関する研究報告がされていたが、1990年以降はほとんど見なくなり、治療においても使用されなくなった。
感染予防に広域スペクトルの抗生剤が投与されるが、ハブだけでなくヘビ咬傷による感染の報告はないため、不要だという報告もある。また、一般的に動物による咬傷では破傷風トキソイドが投与されるが、ハブ咬傷では破傷風発症の報告はない。海外を含めて動物咬傷による破傷風発症の報告はほとんどなく、ナイジェリアとタイでの毒蛇咬傷後に発症した報告がわずかにあるだけである。
ハブ咬傷では腫脹が非常に強いため、コンパートメント症候群が問題となる。そのため減脹切開が行われるが、ハブの牙が1~2cmと長く、筋肉内まで毒が注入されることがあり、筋膜切開と洗浄が行われる。
マムシ咬傷
局所治療としては、緊縛し数カ所を切開して吸引したり排出を行っていたが、 切開することによって治療日数が伸びることなどからあまり行われなくなった。ハブ咬傷ほど腫脹は強くないので、減脹切開は昔からあまり行われていない。しかし、マムシ咬傷では手の指の受傷が多く、末梢であることから腫脹による循環障害を起こすことがあり、コンパートメント症候群を回避するために時には減脹切開が行われる。これは施設によってかなり差があり、比較的早い段階で減脹切開を行っているところもある。1990年以前は駆血帯をかけて末梢静脈を切開、吸引、脱血が行われていた。受傷直後(15分以内)であれば圧迫や絞り出しによって治療日数が短縮するということで、これが推奨された。しかし、多くの場合、受傷後30分以内に治療を行うことは難しい。
また、1950年頃からハブ咬傷同様、薬剤による局所の洗浄も行われている。多くの例で切開後、1%過マンガン酸カリウム溶液で洗浄が行われたが、その効果が明確ではないことからイソジン液で消毒されるようになった。
全身治療として1960年くらいまでは抗毒素による治療が主体であったが、1950年代にセファランチンの静脈内投与により腫脹の消失が早くなることや溶血を抑え、治療日数が短縮するなどの報告からセファランチンが多く使われるようになり、現在でもルーチンのように使用されているところもある。
マムシ咬傷は死亡率が低く、ハブ咬傷に比べると壊死など組織の損傷が軽いためか単価のマムシ抗毒素の需要が少なく、当初はハブとマムシの混合血清がつくられていた。
セファランチンは、植物から抽出されたアルカロイドで、台湾で住民が毒蛇咬傷の治療にその植物の抽出物を使用していたことから、当時の東京大学伝染病研究所所長の長谷川秀治らによって、蛇毒の溶血作用や致死作用抑制の研究報告からハブやマムシ咬傷治療に使われるようになった。ハブ抗毒素同様、マムシ抗毒素もまだ液状であり、僻地では保管が難しいこと、さらにアナフィラキシーや血清病の併発が血清の使用を躊躇させることになった。その後、抗毒素は乾燥製剤となり、また、より精製されたものとなった。しかし、1970,1980年代には抗毒素とセファランチンの治療における効果を比較した研究が多く報告された。結果として、それらの効果にあまり差はないが、セファランチンには副作用がなく、抗毒素には副作用の問題があることから、治療にはセファランチンで十分であるとしている。これらの研究報告から1990年くらいまでは抗毒素の使用がかなり控えられた。
しかし、これらの研究報告には比較研究としては非常に不備な点が見受けられる。単に抗毒素を投与したと記述してあるだけで、投与方法や投与時間などを明記していない報告が多くみられた。ある報告では、1978年からの10年間の114例で比較検討しているが、抗毒素の投与は皮下注、筋注、あるいは静注と記載してあり、投与経路の差は論じられていない。抗毒素の添付文書にも、どの投与方法がよいというような説明はなない。これは長い間投与経路によってその効果に大きな差があることを認識されていなかったためである。それでもこの報告では、3時間以内に投与されれば抗毒素の効果はあるとしている。副作用の問題もあるため、1990年頃まではかなり多くの症例で、抗毒素が皮下または筋肉内に投与されていた。さらに、受傷後短時間では重症化するかどうかの診断が難しいため、ある程度経過観察して、症状が進行してから効果の低い方法で投与されており、明らかに抗毒素の効果が生かされていなかった。
そのため我々は、動物実験によりELISA法を用いて、マムシ毒の筋肉内投与後の局所及び血中における残留毒量の変化を調べ、さらに毒投与30分後に抗毒素を筋注または静注した場合の残留毒量の変化も調べた。その結果、抗毒素を静注した場合の方が、血中はもちろん局所の残留毒量も明らかに減少することを示した。このことは抗毒素を静注することによって血中及び局所のいずれにおいてもマムシ毒をより中和することを示している。1990年代以降、徐々に抗毒素の使用が増え、また、多くの症例で点滴静注されるようになった。(図2)ミャンマーで抗毒素の筋注による効果を調べている報告がある。これは、僻地では静脈注射ができるスタッフがいないからで、毒性の非常に強いヘビの多い地域では、抗毒素を投与しないと救命できないためである。このことは昔の日本も同じ状況であったと言える。ただ、抗毒素の効果に疑問を持つような国は他にはないと思われる。抗毒素を静注すると血中の毒は短時間で中和され、重症化をかなり防ぐことができる。しかし、局所の毒はすぐには0にはならないため、腫れの広がりはすぐには止まらない。そのためあまり効果がないと思われることもあった。しかし、毒が血管に注入され、短時間で血小板が1万以下に減少するようなマムシ咬傷では、抗毒素の点滴静注後、短時間で血小板数の回復がみられる。このような症例をみるといかに抗毒素が効果のあるものかが認識できる。
現在でもセファランチンはかなり使用されているが、1988年に沢井らが、in vitroの試験で、セファランチンはマムシ毒を抑える効果はないと報告している。もちろんセファランチンは直接毒の作用を抑えるものではないため、マウスを使って致死や出血、壊死の差を測定しても、ほとんど効果を判定できるものではない。しかし、臨床では回復時間が早くなるようだという意見もあり、また、副作用の心配はないため、これを使用することには何の問題もない。ただ、あくまでも補助として使用するものであって抗毒素の代わりに使用するものではないことを認識しておく必要がある。
もともとセファランチンは結核の化学療法に用いられたもので、長谷川秀治はその創始者として有名である。長谷川秀治は1949年か東京大学医科学研究所(当時の伝染病研究所)の所長を務めており、沢井芳男は1952年に同研究所の試験製造室の主任となり抗毒素血清の試作を行っている。さらに長谷川秀治は群馬大学の初代学長、そして(財)日本蛇族学術研究所の理事長も務められ、同時期に沢井芳男は理事となり、1973年には理事長に就任している。この2人が同じ東京大学医科学研究所、日本蛇族学術研究所に所属していながら、全く反する結果を示していることは非常におもしろい。
抗毒素は、特異的に蛇毒と結合してその作用を抑えるもので、非常に有効であることは間違いないが、アナフィラキシーを起こす危険もあるため、現在では前もって抗ヒスタミンとステロイド投与することが勧められているが、この方法が確実にアナフィラキシーを予防できるという研究はなく、海外の研究で、アドレナリンの前投与によりかなりアナフィラキシーの発症を抑えるという報告はあるため、いずれにしても抗毒素投与時には必ずアドレナリンと人工呼吸器の準備は必要である。
その他、血漿交換が有効だったという報告もあるが、症例は少なく明らかな効果は示されていない。また、急性腎不全に対する血液浄化療法として、2000年以前は血液透析(HD)が主体であったが、2000年以降は持続血液濾過(CHF)または血液濾過透析(HDF))されるようになり、近年では持続血液濾過透析が増えている。ハブ咬傷では急性腎不全を起こすことがまれであるため、透析等が行われることはあまりない。また、近年では重症例で、体内酸素量の増加により生体内の循環障害・低酸素状態の改善、末梢循環の改善、組織の腫れを軽減させる等の目的で高気圧酸素療法が病態の改善のために行われることがある。
ヤマカガシ咬傷
ヤマカガシ咬傷は、1931年(昭和6年)に起きた49歳男性の「一時性出血性素因を来たせる比較的重篤なりし「やまかがし(Natrix tigrinus)蛇咬症の1例」(1932)が最初の報告はである。10分後に強度の頭痛があったが、一過性で軽快している。出血傾向が認められ、第2病日には血液凝固時間が47分と著明に延長している。溶血による褐色尿や血尿もみられ、現在でもみられる典型的なヤマカガシ咬傷であるが、治療については全く書かれていない。この患者は徐々に軽快し、20日後に退院している。1932年に2例目の報告があるが、詳細は不明である。その20年後の1953年に3例目の報告があり、1歳10ヵ月の男児が咬まれ、出血傾向がみられ、血液凝固時間は45分となり、この症例では輸血とリンゲル液、油性ペニシリンなどが投与されている。徐々に軽快し7日後に退院している。1968年の11歳男児の4例目の報告で、初めてフィブリノーゲン量の記載があり、第3病日に60mg/dlまで減少しており、線溶活性も亢進していた。治療としてはペニシリン、抗ヒスタミン、イプシロン静注(止血作用)、フィブリノーゲン輸注などの処置が行われ、第26病日に退院している。
医学雑誌での報告は非常に少なく、医療関係者にもヤマカガシが毒蛇であることは広まらなかった。特にヤマカガシ咬傷では痛みや腫れを起こすことがなく、重症例でなければ咬傷部位からの出血が止まりにくい程度ですんでいたため、一般には無毒蛇として扱われていた。1971年61歳男性の症例で初めてDICと診断している。フィブリノーゲン20mg/dl以下、血小板 55000まで減少していた。治療としては4,000mlの交換輸血、血液のヘパリン化、血液透析が行われ、その後もヘパリン、フィブリノーゲン、トランサミン(出血傾向治療)、カルシコール(カルシウム補給剤)などが投与され、凝固系の値は回復していったが、排尿はなく10日目の腎生検で広範囲の出血と壊死が認められている。2ヵ月後に肺浮腫を合併して死亡しており、ヤマカガシ咬傷の最初の死亡例として報告されている。
我々は、1980年頃よりヤマカガシ毒の研究を始めたが、それ以前にはヤマカガシ毒についての研究報告は1件(1976)のみで、第Ⅹ因子を活性化するとしている。我々の実験では、マウスへの静注で強い毒性を示したが、皮下注や筋注では1/20程度の毒性であった。全身性の出血を起こし、肺の毛細血管や腎糸球体にフィブリン血栓が認められている。また、強い血液凝固活性、プロトロンビンを活性化することを明らかにした。1984年に中学生がヤマカガシに手を出して咬まれ、脳内出血による死亡例をきっかけに、1986年にはウサギを、1987年にはヤギを免疫して抗毒素を試作した。この抗毒素は、11例で使用され、受傷4日後までに投与(点滴静注)された10例で、顕著な凝固障害、DICを起こしていたにもかかわらず、投与後短時間で出血が止まり、顕著な回復を示した。受傷6日後に投与された1例は、すでに急性腎不全を併発していたので、透析を行い、回復までに1ヵ月近くを要している。その後、2000年に厚生科研研究費によりウマを免疫して抗毒素が製造され、やはり3日後までに投与された全症例では、急性腎不全を併発せずに数日で軽快している。ただし、死亡例4例が数日で脳出血を起こしている。
ヤマカガシ毒の作用は、ほぼ血液凝固促進作用のみであり、ハブやマムシ毒のように直接組織を損傷させることはない。そのため、抗毒素の投与により血中の毒が短時間で中和されると凝固因子の消費がストップする。凝固因子は補充され続けているため、毒の作用がなくなることで急速に増加し始め、短時間で出血傾向が改善する。抗毒素の効果が、短時間で顕著に現れるのがヤマカガシ咬傷の特徴である。
治療においては、低フィブリノーゲン血症やDICと診断された症例では、ヘパリンやメシル酸ガベキサートなどが投与されている。我々の行った動物実験でも、ヘパリンによりある程度凝固異常の改善がみられる。しかし、血凝固作用が強く出血傾向のみられる毒蛇咬傷では、ヘパリンの使用は禁忌とされている。また、DIC治療で使用されるメシル酸ガベキサート効果は咬傷治療においては明確ではない。血漿交換を行っている症例もあるが、顕著な効果はあまり認められず、3回の血漿交換でも出血傾向が改善せず、抗毒素投与により急速に改善した症例もある。また、抗毒素を投与せずにフィブリノーゲンを補充するのは、血栓形成を促進するため勧められない。
毒性の強い毒蛇咬傷では、血清療法が主体となるが、投与までの時間と投与方法が非常に重要である。また、ヘビによって毒の成分が異なるため、注入された部位や毒量によって異なった病態を引き起こすことや多くの毒蛇咬傷で出血傾向や急性腎不全を起こすが、発症のメカニズムは毒蛇によって異なるため、毒の作用を明らかにすることが適切な治療を行うためには非常に重要である。
参考資料
小林照幸「毒蛇」文春文庫2000年
Hifumi T, Sakai A, Kondo Y, et al: Venomous snake bites: clinical diagnosis and treatment. J Intensive Care 3:16, 2015, DOI 10.1186/s40560-015-0081-8
図1.IgG抗体
図2.ウサギにおける抗体の血中濃度変化
抗体のみ静注(■)及び筋注(□)した時の抗体量